億男を読んだ

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お金を巡る冒険。

親族の借金を被り、その借金返済に奔走する主人公・一男。 妻と最愛の娘とは別居状態。朝から晩まで借金返済のためにダブルワークの日々が延々と続く・・・かと思われた矢先、宝クジで3億円が当たる。

唐突に、一男はお金に縛られていた人生から解放された。 しかし、その状況の変化に一男は「お金」によって成立していたはずの「幸せな人生」というものがわからなくなり途方にくれてしまう。 借金は返済できるし、恐らく妻子は自分の元に帰ってくるだろ。 だが、一体この大金でこの先の人生自分は何をすればいいのだろうか?

一男は、その答えを求めるため富豪となった学生自体の友人・九十九を訪ねるのだが、その直後、九十九は忽然と一男の前から姿を消してしまう。一男の3億円を持って・・・。

作中、落語の「芝浜」にかけて暗に個人間の信用とお金の信用を重ねて語るシーンがあるのですが、何かすごく落語良いなって思いました。 落語観に行こう。

読んで思ったこと

学生時代にマネタリベースとマネーサプライの関係性について習った時、原資通貨であるマネタリベースが信用の名の下に銀行間で増加・増殖し、それが僕たちの経済を支えていることにものすごい危うさを覚えて「こんな社会、いつ崩壊するかわかんないねー」と友達と笑っていたことを思い出しました。 一男のゲットした3億も、九十九がゲットした157億6752万9468円も信用・信頼という意識的インフラの名の下に成立しているだけで、そのインフラに綻びが生じただけで無意味なものになるかもしれません。 そんな不安定な要件の上に成立した自由が人生の欲求を喪失する引き金になるという見方は端から見ていると(読んでいると)現実感無いんですけど(まあ、そもそもフィクションだしね)実際に自分がそういう境遇に身を置いたら、凄い喪失感を憶えたりするかもしれませんね。

まあでも、信用・信頼というものはスケールが大きくなって人々の共通認識のレベルに達すると戦争とか災害レベル的な余程のことがない限りは揺るがない堅牢さを持つのかもしれません。 何故ならばその信用が成立しなければその世界が終わってしまうという危機的認識をそこに参加している者全員が共通して持っているからです。

まあ、とにかく落語カッコイイし僕はお金が欲しい。
なので、ロト7を買おうと思います。

億男

億男